ここは、クロム自警団のアジト。
イーリス軍の軍師ルフレは、とある夫婦をそこに呼び出した。
ヴァルム帝国のヴァルハルトを破り、戦争が終結して、ルフレ達はイーリスに戻ったばかりだった。
とはいえ、邪竜ギムレーに対抗すべく「覚醒の儀」を行わなければならなかったため、新しい情報が入るまで、軍は待機していた。
そんな折、覚醒の儀に必要な、炎の台座の最後の宝玉「黒炎」を、ペレジア城で返還するとの知らせが届いた。
明らかに罠だ。きっとペレジア城に呼び出して袋叩きにし、こちらの炎の台座と宝玉を全て奪おうという魂胆だ。しかし無視する訳にもいかないし、クロムも聖王代理として対話の機会を持ちたいとのことで、罠と知りつつも乗り込むことになったのだ。
もちろんルフレも、事前に策を用意しておかねばならない。そのためには、できるだけ情報収集する必要があった。
「……どうして貴方までここにいるのよ……」
サーリャは夫のヘンリーを見て、苦々しく舌打ちをした。
「なんでって、ルフレに呼ばれたからだよ〜」
ヘンリーは妻に舌打ちをされたにも関わらず、ニコニコと笑ったままだ。
「あのー、サーリャさん、そう言わないでください。今回の件については、お二人の協力がぜひ必要なんです」
ルフレは相変わらずの夫婦の様子に、引きつった笑みを浮かべた。
ヘンリーとサーリャは、もともとペレジア軍に所属していた。今では二人とも寝返ってイーリス軍なのだが、ペレジアについて知りたいとき、ルフレはこの二人を頼ることが多かった。
「貴方さえいなければ、ルフレと濃密な時間が過ごせたのに……」
サーリャはまだ文句を言っている。サーリャはヘンリーと結婚してはいるものの、ルフレに重い愛情を捧げていた。女同士だが性別などお構いなしだ。
「濃密な時間ってどんなの〜?」
「そうね……ルフレはペレジアについて知りたいみたいだから、まずは手取り足取りみっちりと教えてあげるわね……そしてひとしきり語らった後、手をとったままルフレの……ああ、これ以上は私の口から言えないわ……でも、ルフレがいるのだからこの際思い切って……ああ、でも……ふふ……うふふふふ……」
サーリャはとろんとした目で顔を赤らめ、すっかり陶酔している。
「ええと、その話、終わった後お二人でしてもらってもいいですか?」
何せルフレもサーリャとは二年以上の付き合いで、サーリャのこうした態度には慣れていた。このまま放っておいてはいつまで経っても本題に入れないので、適当にあしらう。
「そう……ルフレがそう言うなら……」
「は〜い。じゃあサーリャ、また後でね〜」
そうしてルフレは、やっと用件を述べられるのだった。
ルフレは二人に、ペレジア城について尋ねた。
「今度のペレジア城では、必ず戦いになるでしょう。だから、もし中の様子を知っていたら、教えてほしいんです」
「そうね、一般兵の立場では、城にはあまり入れなかったわ……でも、式典や手続きで、何度か出入りしたことはあるの。入ったことのない区域が多いけど、分かる限りは教えてあげる……」
「僕もサーリャと同じ感じだよ〜。ちょっとうろ覚えだけど、頑張って思い出すね〜」
「ええ、大まかで構いませんから、知っていることを全て教えてください」
サーリャとヘンリーは紙とペンをもらい、ああでもないこうでもないと言いながら、二人で図面を描き始めた。ここには大広間があっただの、こっちは物資の倉庫だったんじゃないかだの言い合いながら作業する姿は、ペレジアの同胞、そして夫婦としての絆を感じさせて、ルフレは思わず頬を緩ませた。
そうして、細かいところはあまり分からないが、ざっくりとした図面が完成した。その図面を元に、ルフレは広さや壁の材質など、細かい内装を聞き取っていく。二人は記憶を総動員してルフレに協力した。ルフレは二人の図面を見ながら、事細かにメモを取った。
「ふう。これだけの情報があれば、かなり参考になります。お二人とも、ご協力本当にありがとうございます」
「こんなの、お安い御用だよ〜! ふふっ、裏切り者の僕達でも、人の役には立てるんだね〜」
「うふふ……ルフレの役に立てたのなら嬉しいわ。貴方のためなら、たとえ海の底でも行ってくるわ……」
サーリャなら呪いで本当にそれを実現しかねない、と思ったルフレは思わず苦笑するが、ルフレは二人に確かめなければならないことがあった。
「ヘンリーさん、サーリャさん。これからギムレーの復活を阻止する戦いになりますが、おそらくペレジア軍やギムレー教団を相手にすることになります。お二人はペレジア出身ですから、思うところもあるかと思います……。特にヘンリーさん、あなたは教団にもいたそうですし、ペレジアと真っ向から衝突するのは初めてのはずです」
ルフレが一呼吸置く。
「ですから、もし迷いがあれば、お二人とも軍を抜けて構いません。これからは厳しい戦いです。迷いは、死に直結するでしょうから……」
しかし、この夫婦は毅然としていた。
「ルフレ。私はペレジアやギムレー教団なんかじゃない、イーリスですらない……貴方に、ついていくと決めたの。貴方が行くところならどこへでも行くし、そこに迷いなんてないわ……」
「あはは、僕は戦争大好きだから、なるべくたくさん戦えるところにいるだけだよ〜。多分イーリス軍にいたら一番戦えるし、抜けるなんてとんでもないよ〜。今はサーリャもいるしね〜」
つくづく変わった夫婦である。しかし全く動揺を見せない二人に、ルフレは頼もしさを覚えた。
「ありがとうございます。それではペレジア城では、お二人にも戦ってもらおうと思っていますが、大丈夫ですか?」
ルフレは、ペレジア城の内部構造が少しでも分かる二人を、出撃メンバーに加えようとしていた。
「ええ……貴方の言うことなら、何なりと……」
「もちろんだよ〜! いっぱい倒しちゃうから、任せといて〜」
二人の答えに、ルフレはうなずいた。
そうして、ペレジア城での交渉の前日。
クロム達は少人数で行軍し、ペレジア城にほど近い町に宿を取った。
ファウダーは「イーリスの王族を野宿させる訳にはいかぬ」などと言い、宿泊室を用意すると申し出たが、それにはとても応じられなかった。しかしそう言われてしまった上で野営をすると角が立ちそうだったので、自分達で宿を手配したのだ。
城下町と言って差し支えない立ち位置のそこは、ペレジアでは最も栄えている。イーリス軍にとっては物珍しいものもたくさんあったが、それに浮かれている場合ではない。町歩きもそこそこに宿に入り、翌日に備えることにした。
宿は、男女別の大部屋を複数取った。そこに翌日出撃する兵を寝かせ、それに加えて寝ずの番をする兵を数名、各部屋に配する。いくら宿とはいえ、状況が状況であるから、ファウダーの息がかかった暗殺者がどこに潜んでいるとも知れなかった。
宿の食堂で、毒見の終わった食事をとる。夕食という憩いの時間ではあるが、兵達の間には緊迫した雰囲気が漂っていた。
「みんな、どうしたの〜? ペレジアの料理、あんまり好きじゃない〜?」
ただ一人、緊迫感のかけらもないヘンリーが、のんびりと皆に話しかける。
「ううん、ちょっと変わった味だけど、おいしいよ。でも、緊張しちゃって」
リズが、いつもとは違う硬い表情で言った。
「このような料理は初めてだが、なかなか美味しいものだ。しかしヘンリー殿、いくら故郷といえども、あまり油断してはならぬぞ」
サイリがヘンリーに釘を刺した。ルフレは、ヴァルム戦争が終わったにも関わらずついてきてくれたサイリを見て、感謝の念を新たにする。
「皆さん、明日は大変でしょうから、緊張するのは分かりますし、大切なことです。でも、休めるときに休むのも、同じくらい大切なことです。食事くらいは、いつものように話しながら食べましょう」
ルフレが張り詰めた空気を緩めるべく発言した。軍の人望厚いルフレの言葉に、兵達も少しほっとする。
「ああ、ルフレの言う通りだ。確かにサイリの言うように油断はならん。ただ、なるべくいつも通りにして、気を落ち着けるといい」
軍の大将、クロムも続けた。
「お父様……。そうですね。平常心は大事です」
思い詰めたように無言だったルキナが、ゆっくりと口を開く。
「そうだな……油断は禁物だが、食事中くらいは雑談をするのも大切かもしれぬ」
サイリも少し思い直す。
「そうだね、わたし、もっとみんなとお話したいな!」
リズが先程よりも明るい声で言った。
「それでは、皆さんは、ペレジアの砂漠についてどう思われますか。イーリスの土とは全く異なります……非常に興味深い……」
「ペレジアって、本当に砂漠が多いだ……砂漠じゃないところも、やせ細った土地ばっかりだべ。ここで農業をするのは、大変だべな」
「あのね、ノノ、悪い顔の人に売られてるときに、この町に来たことはあるの。でも市場はちゃんと見られなかったから、明日が終わったら、市場をぜーんぶ回ってみたいな!」
「確かにペレジアの城下町も、良いところだね。しかし見たところ、市場の品揃えについては優雅さが足りない……私が領主なら、貴族的に商業を繁栄させるところだよ」
ルフレの一言を機に、皆が口を開き始めた。いつもの賑やかさを取り戻していくさまに、ルフレは微笑んだ。
「うふふ……ルフレ、嬉しそうね……」
サーリャも微笑んで、ルフレに話しかけた。ルフレの幸せは、彼女の幸せだった。
「ええ、皆さんにゆっくりして頂けるのが、何よりですから。……明日はどうなるか、分かりませんし……」
最後のところで、ルフレの表情が急に鋭さを増す。彼女は、常に軍の皆のことを考えているのだろう。
「そうね……でも、心配はいらないわ……。ルフレは、私が守るもの……」
「ありがとうございます。では、サーリャさんを含め、皆は私の策で守ってみせます」
怖いもの知らずの笑みを浮かべるルフレに、サーリャは惚れ直した。
「あぁ、さすがはルフレ……! その不敵な微笑み、素晴らしいわ……そう、明日だって、貴方だけは私が守ってみせる……うふふふふ……」
「あの、サーリャさん、私だけじゃなくて皆さんも守ってくださいね?」
「……分かったわ……貴方の頼みなら、喜んで……」
そう言って、熱烈にルフレを見つめるサーリャに、割り入る男がいた。そんな男は一人しかいない。
「ねえねえ、サーリャ、夜市に行かない? きっと楽しいよ〜」
「ヘンリーさん、明日は戦いになりますから、羽目を外している暇はありませんよ」
ルフレが制する。ペレジアは暑いので、過ごしやすくなる時間帯の夜の市場が栄えていて、ちょうどこれからの時間が本番だった。ただし明日が戦いとなると、タイミングが良いとは言えない。
「そうよ……ルフレの言う通りだわ。夜市なんかに現を抜かしている場合じゃないわよ……」
「え〜、でも僕、ここの夜市にずっと行ってみたかったんだ〜。サーリャは行ったことある〜?」
「私もないわ……。昼の市なら行ったことはあるけど、夜になったらそんなに品揃えが変わるのか、気にはなるわね……」
「……サーリャさん。もしかしてサーリャさんも、夜市に行ってみたかったんですか?」
ルフレが口を挟んだ。
「そうね、ここの夜市はペレジア一だと言われているから、一度くらいは行ってみたかったわ。人が多いのは苦手だけど、見たことのない呪術具もあるかもしれないし……」
「そうですか、分かりました。……では、お二人で夜市に行ってきてください。ただ、あまり遅くないうちに帰ってきてくださいね?」
急な方針転換にサーリャは驚き、ヘンリーは素直に喜んだ。
ルフレは、これまでも出撃前に、兵の長年の望みを叶えることがあった。戦争中は誰一人死なないように配慮するのがルフレの仕事だが、それでも命の危険からは逃れられない。だから、思い残しがないように行動させることがあったのだ。
故郷の母親に会いたい、名所のどこそこに行ってみたい……そうした願いを、野営地の近くで無理なく行ける範囲であれば、ルフレは叶えてきた。だから、ルフレは短時間ならこの二人を夜市に行かせたいと考えた。
「いいの〜? じゃあ夜更かししない程度に、行ってくるね〜」
「そ、そう……ルフレが行ってこいというなら、行ってくるわ……」
二人は食事を終えると、周囲に気づかれないよう、そっと宿屋を後にした。
ヘンリーとサーリャは、行軍の前に用意した、フード付きのローブを羽織っていた。彼らは裏切り者だから、昔の知り合いに会うと面倒なことになる。特にヘンリーの銀髪は、あまり多い髪色でないので目立つだろうと、用心してのことだった。
フードを被った二人は、元々ペレジアの住人であったからか、ペレジアの夜市にすっかり溶け込んだ。
薄闇に立ち並ぶ屋台と、ランプの灯り。その幻惑的な光景に、意識を引き込まれる。怪しげな物売りや、食べ物の屋台を、二人は物珍しそうに眺めていた。
「う〜ん、お腹いっぱいだから、屋台で食べる気にならないや〜」
「それでいいわ……明日戦うのに、お腹壊したんじゃ困るわよ……」
少し残念そうなヘンリーを、サーリャはなだめる。
「食べ物以外にも、いろいろと見るところがあるでしょう……」
「そうだね〜。サーリャは道具屋とか、本屋に行きたいんじゃない?」
「そう……。大体そんなところよ。でも本は、夜だと字がよく見えないから、夜市に本屋はあまりないと思うわ……」
「なるほどね〜。じゃあ、道具屋を探そうか〜」
二人は夜市を回った。さすがは呪術の本場ペレジア、呪術具や材料が豊富に手に入り、サーリャは興奮しきりで、ヘンリーもいくつか道具を買い、喜ぶサーリャを見てご満悦だった。
「ふふっ、楽しそうだね〜」
「まさか、ここまで呪術の道具が揃うとはね……今まで来られなかったのが悔やまれるわ……」
感激に震えるサーリャを、ヘンリーは笑顔で眺める。
「やっと夜市に来られて良かったね〜。サーリャが楽しそうだと、僕も楽しいな〜」
「そう……でも残念だけど、もうあまり時間がないわ……。あと少しだけ、回りましょう」
「うん。じゃあちょっと急ごうか〜」
二人は足早に、まだ行っていない市場の一角に向かった。
すっかり夜市を満喫した二人は市場を離れ、宿に向かった。夜市の浮ついた雰囲気が、まだ身体に残っている。
「うふふふ……これで呪いの研究も、一段と進みそうだわ……」
戦利品の包みを愛おしそうに左手に抱えたサーリャに、ヘンリーが水をさす。
「そうだね〜。でも僕達、明日には死んじゃうかもしれないんだよ。そしたら呪いもできなくなっちゃうね〜」
「……そうね。ルフレが私達を夜市に行かせてくれたのも、明日がどうなるか分からないからよね……」
サーリャの表情が引き締まった。
「うん、悔いがないようにしないとってことだよね。まあ夜市には行けたけど、いっぱい道具が買えたから、結局今死んでも悔いは残っちゃうね〜あはは〜」
「ええ。今日手に入れた道具を活かすためにも、明日は無事に帰らないといけないわ……」
「ふふっ、頑張ろうね〜、サーリャ」
人通りのない道で、ヘンリーは突然サーリャの身体を引き寄せ、口づけようとした。サーリャは慌ててヘンリーを振りほどく。
「ちょっと貴方、見張り……」
「うん。ついてきてるね〜」
二人は尾けられていた。出かけたときには宿の周囲に見張りが何人も潜んでいて、そのうちの一人が、出かけるヘンリーとサーリャを尾行していた。危害を加えようという様子はないから、炎の台座と宝玉を持って逃げられないよう監視しているのだろう。今も、少し後ろの建物の陰に人がいるのは分かっていた。
「見られていると分かっているなら、控えなさい……」
「別にいいじゃない、キスくらい見られたって〜」
「よ、良くないわよ……」
赤くなったサーリャはヘンリーを睨みつけて、一人でさっさと歩き始めた。
「待ってよ〜」
すぐに駆け寄って追いつくと、二人はまた並んで歩きだす。
「もう……貴方なんか、知らないわ……」
サーリャはまだふてくされている。
「も〜、そんなこと言わないでよ。明日は協力して戦わないといけないんだからね〜?」
「まあ、そうなんだけど……。仕方ないから、明日は助けてあげるわ……」
「うん、僕は君を助けるよ。……ねえサーリャ、だから、僕を置いて死んじゃったりしないでね」
ヘンリーがぽつりと言う。出撃前夜に、このような会話をすることは時折あった。
「もちろんよ……また、行きましょう。夜市……」
「……そうだね〜。サーリャ、すっごく楽しそうだったもん。また行きたいな〜」
憂いの微笑みから一転、晴れやかに笑ったヘンリーは、サーリャの手を取り、宿への短い道のりを惜しむように歩いた。
「もう、二人ともずるいよー! みんなに黙って、自分達だけ市場に行っちゃってさ!」
「ずるいずるいー! ノノも、市場行きたかったのにー!」
宿に戻ったヘンリーとサーリャを、少女達の黄色い声が出迎えた。二人の不在はあっさりばれてしまったようだ。
「リズさん、ノノさん、落ち着いてください。夜市は、治安も心配なところです。お二人はペレジアに慣れていますから、夜市でもきちんと身を守れると思って行かせたんです」
二人の外出許可を出したルフレが間に入る。
「それに、リズさんとノノさんが市場に行ったら、夢中になって、つい帰りが遅くなってしまうのではないですか?」
「えへへ、確かにそうかも……」
「もぉー、ノノはそんなに子どもじゃないもん!」
照れ笑いするリズと、まだ不服そうなノノを横目に、サーリャは宿の周りの見張りについて報告した。
「そうですか、それほどの人数が……やはり明日は、ただでは済みませんね。お二人も気持ちを切り替えて、明日に備えてください」
「は〜い」
「ええ……任せて頂戴……」
ヘンリーとサーリャは寝支度を整え、男女別の寝室に入った。寝台に身を滑らせたサーリャは、ペレジア城の内部の様子を、繰り返し頭に思い浮かべる。そのうちに眠ってしまったサーリャは、昔の夢を見た。
長い一日が、始まろうとしていた。
<了>