手紙

サーリャは家族からの手紙を読んで、安堵のため息をついた。
彼女の故郷ペレジアはファウダーが即位してから、ギムレー教徒がよりいっそう幅をきかして、生贄となる女子供を拉致したり、献金を強固に取り立てて逆らうと危害を加えたり、異教徒を弾圧したりしているという。政府や教団が優先的に物資を受けることから、一般庶民への物流も滞り、貧富の差はますます拡大しているようだ。そんな中、サーリャの家族は、呪術で身を守りながら、そこそこの生活ができているらしい。サーリャがペレジアを裏切って、敵国であるイーリス軍についた二年前から、実家の方も目をつけられているに違いないが、その辺りも上手くやっているようだった。
そんな家族の様子に、少しほっとしたものの、その手紙の最後を読んで、サーリャの顔が陰った。
「サーリャ……どうしたの……?」
彼女の郵便手続きの世話をしていたカラムが気遣う。
「いえ……何でもないわ……」
サーリャは、手紙を隠して強がった。その手紙には、主にサーリャの家族の状況が書かれていたのだが、最後に書かれていたのは、サーリャ自身に関することだった。

ーー戦争が終わったら、縁談を用意しているから、身を落ち着けなさい。なんなら今すぐにでも退役して、縁談を進めても構わない。イーリスに寝返ったことについては、何とか処理をする。

手紙を自分の天幕に持ち帰ったサーリャは、もう一度、今度は嫌気のため息をついた。
サーリャの実家は、呪術師の家系。しかもペレジア国内でも有数の名門という立ち位置である。
そんな家系を繁栄させるため、先祖代々、呪術の実力者同士での結婚を繰り返してきた。自由恋愛では実力のある呪術師と結ばれるとは限らないことから、大抵は縁談による結婚であった。そんな中、当然サーリャにも、縁談の相手が数人ほど用意されていたのである。

サーリャは、恋愛や結婚について、元々興味がなかった。彼女にとっては、呪術の研究と負の感情が全てであった。
そんな中、好きでもない相手と縁談で結ばれることに、ばかばかしさを感じていた。打算で結婚しただけの相手に一生を捧げるなんて、到底受け入れられなかった。
彼女にはもはや、呪術師でも何でもない相手と勝手に結婚して、両親の鼻を明かそうという気持ちすら湧いていた。イーリス軍は呪術師でない者ばかりだったので、それを実現できる土壌はあった。しかしそんな理由で結婚する訳にもいかないので、愕然とする両親の顔をたまに想像し、ほくそ笑むのみにとどめていた。

彼女は家族に手紙を返信した。最後の件については、縁談に応じる気はないと、はっきりと主張しておいた。

そんな折、サーリャに結婚を申し込む男が現れた。イーリス軍で、サーリャ以外のただ一人の呪術師、ヘンリーだ。
サーリャはその申し出を受けることに決めた、というか話の流れで押し切られた。でもまあ、自分の言うことは何だろうが聞いてくれるらしいし、そういう重い愛を受けるのも悪くない……と、サーリャはまんざらでもなかったが、まだ彼を好きとは言い切れない気持ちだった。

そこで、彼女は両親のことを思い出した。これはこれで、彼らに一泡吹かせられるかもしれない。
ヘンリーはいかれた男だ。いつも空っぽの笑顔を浮かべ、人殺しも何とも思わず、自分が大怪我していてもへらへらして、カラスや花に話しかける。
その一方で、彼は天才的な呪術師でもある。彼も元々はペレジアに住んでいたが、その実力はペレジア中の呪術師に彼の噂が届くほどであり、呪術師の名門家系の婿としても申し分なかった。
娘が明らかにおかしな相手と結婚するが、呪術の実力者であるために反対できない……苦悩する両親を想像すると、サーリャは胸がすっとした。

ちょうどそのとき、家族からまた手紙が届いた。サーリャはすぐにペンを取り、ヘンリーの異常な人柄と呪術師としての実力についてしっかりと触れつつ、結婚の報告をしたためた。
郵便を出すところだったカラムにその手紙を預け、サーリャは不気味に笑った。おかしくて仕方がないといった様子の彼女を、カラムは不思議そうに見つめていた。

「は〜、今日も疲れたね〜」
「そうね……あの男、もう少し加減というものができないのかしら……」
野営地の草むらに寝転んだヘンリーが、傍に座るサーリャと、疲れを分かち合った。
つい先ほどまで、フレデリクの厳しい鍛錬に強制的に参加させられていた二人は、すっかり疲弊していた。呪術師というのは往々にして不健康なものだ。彼らにとって、フレデリクの徹底したしごきはいっそう辛く感じられた。
それでもヘンリーは鍛錬を楽しみ始めていたが、サーリャはルフレの姿を見るのを励みに、嫌々腹筋だの組手だのをこなしていた。

ふとサーリャは、ヘンリーの左手に目をやった。その薬指には、先日二人で作ってきたばかりの指輪が、陽の光にきらめいている。自分の左手に目を落とすと、同じデザインで、ほんの少し細身の指輪が、やはり薬指で輝いていた。
ヘンリーとサーリャは突然結婚した。二人はよく共に戦ったり、呪術について語ったりしていたが、いわゆる男女交際というものをすっ飛ばして、ヘンリーは勢いで結婚を申し込んだ。
だから二人は、キスはもちろん、手を繋いだことすらない。従軍中だから、二人で一つ屋根の下暮らしている訳でもない。二人を夫婦にしているのは、薬指の指輪だけだった。サーリャは、夫との距離を測りかねていた。

サーリャの視線に気づいたヘンリーが、頰をいつも以上にゆるめる。
「ふふっ、指輪、綺麗だよね〜。サーリャと結婚できて嬉しいな〜」
まだ夫婦らしいことは何一つしていないというのに、この男は何がそんなに嬉しいというのか。それがサーリャには不思議だった。
そもそも、彼がどうして自分を気に入ったのかも、よく分からない。はっきりしない愛情ならば、彼はすぐ自分に飽きてしまうのではないか。そういえば、彼はサーリャに手を出してこない。もしかしたら内心思うところがあるのではないか。
それに自分の方だって、彼を本当に愛せるかは、まだ分からない。本当に、この男で良かったのか……。一度考えが悪い方にいってしまうと、止まらない。サーリャは鬱々と、暴走する思考を眺めていた。

「サーリャ? どうしたの〜?」
サーリャの異変にヘンリーが声をかける。
「貴方……本当に私で、良かったの……?」
サーリャはぽつりと不安を吐き出した。
「もちろんだよ〜。僕、サーリャのこと、大好きだよ〜」
「でも、私の方は……ごめんなさい、貴方のこと……大好きとまではまだ言えない……。結婚したのだって、その場の雰囲気に流されただけかもしれないし……貴方を選んだのだって、もしかしたら両親への当てつけなのかもしれないわ……」
サーリャは自分で自分が嫌になった。こんなことを言えば、ヘンリーは傷つくだろうに……。それでも、ヘンリーはあくまで優しかった。
「そっか〜。ちょっと寂しいけど……僕、サーリャと結婚できて一緒にいられるから、それでいいよ。それに、頑張って僕のこと、好きにしてみせるから〜」
ヘンリーがサーリャに手を出さないのには理由があった。サーリャが、自分をまだ好きになりきれていないことに気づいていたのだ。そんな彼の想いを知らず、サーリャは不安にかられていた。

「ねえねえ、近くに森があるから、今度二人で行こうよ〜。一回散歩したんだけど、いいところだったよ〜」
ヘンリーが話題を変えた。彼は自然が好きだが、サーリャは興味がない。森などに行く暇があるなら、呪術の研究を進めたいところだ。しかしサーリャは、同行することに決めた。ある程度二人で行動しないと、さすがに夫婦としての関係が危ぶまれるからだ。
幸い、しばらくは進軍の予定がない。二人は日取りを約束して、その日は別れた。

「……ねえヘンリー、まだなの……」
「あとちょっとだから、頑張って〜。あそこでお弁当食べたら、きっと気持ちいいから〜」
うんざりした様子のサーリャを連れて、ヘンリーが鬱蒼とした森をぐんぐん進むと、少し開けた場所に出た。木々に囲まれて、雲ひとつない青い空が覗いている。地面には背の低い草や花がいろいろと茂っていて、その緑が美しい。木陰に並んで座った二人に、優しい木漏れ日が降り注いだ。
「いい場所でしょ〜」
歩き通しでお腹をすかせた二人は、弁当箱を開く。中身は、サーリャの力作だ。本当は二人で作る予定だったのだが、低血圧のヘンリーが案の定寝坊したため、サーリャが手際よく作った。
二人は早速食べ始める。ヘンリーがもぐもぐと口を動かしながら、感嘆の声を上げた。
「おいし〜! やっぱりサーリャのご飯って、すっごくおいしいね〜。寝坊してごめんね、作ってくれてありがと〜」
ヘンリーは食いしん坊ではないが、ご飯をいかにも美味しそうに食べる。子どもの頃、ろくに食事を与えられていなかったから、その反動なのだろう。ペレジアにいた頃は粗食だったようだが、イーリス軍で皆と色々な料理を食べるうちに、だんだんと食の楽しみを理解していったようだ。
特にサーリャの手料理を食べる時などは、まさに幸せの絶頂、といった様子だ。サーリャはその反応に、大げさだと呆れていたが、悪い気はしなかった。
弁当を食べ終えた二人は、しばらくそこでのんびりと、何をする訳でもなく一緒に過ごした。

お腹も落ち着いた二人は、もう少し森を散策することにした。
途中でカラスに挨拶し、小道に沿って生えた植物を見て、呪術の材料に使えるだの何だのと話しながら歩いていると、ヘンリーがある木の前で立ち止まった。
「あ! この木、ここにもあるんだ。懐かし〜!」
「ヘンリー、この木について、何か知ってるの……?」
そうサーリャが問うと、ヘンリーは頭上を指差す。そこには、手のひらに収まるほどの大きさの赤い木の実がぽつぽつとなっていた。
「これね、食べられるんだよ。結構おいしいから、サーリャにも食べさせてあげるね〜」
そう言うと、ヘンリーはマントを脱ぎ捨て、その木に登り始めた。サーリャが呆気にとられていると、ヘンリーは半分ほど登ったところで足をすべらせて落ちてしまった。しかし着地は手慣れていて、怪我らしい怪我はなさそうだった。
「あはは、久しぶりだから失敗しちゃった〜。サーリャにかっこいいところ見せたかったのにな〜」
照れくさそうに笑うと、再び木の幹に足を掛ける。サーリャは危ないからと止めたが、ヘンリーは今度はするすると登り、見事に赤い実を二つ取ってきた。
「貴方……木に登れたのね……」
サーリャはヘンリーの意外な身体能力に驚いていた。
「僕、両親にあんまりご飯をもらえなかったから、森の草や木の実を食べてたんだ〜。それで木登りを覚えたんだよ〜」
「……そう……木登りは、貴方の生きる手段だったのね……」
「まあそんなとこかな〜。ねえねえ、その実、食べてみて〜」
サーリャはヘンリーとともに、その柔らかな果肉に歯を立てる。その実はほのかに甘くて、少し水っぽかったが、ヘンリーが自分のために苦労して取ってきたと思うと、美味しく感じられた。サーリャの脳裏にふと、弁当を美味しそうに食べる先程のヘンリーの顔が蘇った。
「あはは、久々に食べると、すっごくおいしいって訳じゃないかも〜。でも、まあまあでしょ〜」
「そうね……でも思ったより、美味しいわよ……」
「そっか〜、良かった〜」
ヘンリーは笑いながら、もう一口その実をかじった。

二人が木の実を食べ終えると、ヘンリーが、意外なことを申し出た。
「ねえサーリャ、見てて。僕、さっきより高い木に登ってみせるよ〜」
サーリャは慌ててヘンリーを止める。
「いえ、登らない方がいいわ……怪我をしたら大変だもの……」
「でも、もっとサーリャに僕のかっこいいところを見てもらわないと、サーリャに好きになってもらえないよ〜」
サーリャは危険を冒してまで自分に好かれようとするヘンリーに、胸が詰まった。
「貴方の安全が第一よ……無理にかっこつけるのはやめなさい……」
「そっか〜、じゃあやめるね。でもそしたら、どうすればサーリャに好きになってもらえるかな〜」
ヘンリーはしょげた様子で笑った。サーリャは彼の心も笑顔も空虚なものだと思っていたが、壊れているが心はちゃんとあると気づいたし、同じような笑顔の微妙な違いも判別できるようになっていた。彼女も知らず知らずのうちに、彼の妻でありたいと思っていたのだろう。
「……貴方は、木の実を取ってきてくれたわ。お弁当も全部食べてくれたし、一緒にいてくれて……私を、愛してくれた。それで、じゅうぶんよ……」
「え? じゅうぶんって、それってサーリャ、僕のこと好きってこと〜?」
「う……!」
サーリャは焦った。珍しく自分の気持ちを素直に口にしたのだが、確かに会話の流れを考えると、ヘンリーの言う通り、「サーリャは既にヘンリーに惚れている」という結論になる。そんな自覚は全くなかったサーリャの頰は、一気に赤く染まった。
何も言葉にできずにうろたえるばかりのサーリャを見て、ヘンリーは意を決して、両手を伸ばした。そのままサーリャの両手をとって、そっと握る。
「ねえサーリャ。こうしてて、嫌な感じする?」
突然ヘンリーに触れられてサーリャは固まったが、やっと少し落ち着きを取り戻すと、なんとか口を開いた。
「……嫌じゃ、ないわ……」
木登りで少し汚れ、すり傷のついたその手が、やけに愛おしかった。
「そっか〜。ねえ、そしたら、手を繋いで歩いてもいいかな〜?」
断る理由は、なかった。

ヘンリーとサーリャが初めて手を繋いだその日、サーリャのもとに家族からの手紙が届いていた。
家族はサーリャの結婚に驚き、ヘンリーの異常性についても心配している様子だったが、思いの外素直に祝福の言葉を記していた。ーー相手に不安もあるが、サーリャの選んだ人なら間違いないだろうから、よく助け合って、しあわせになりなさい。
ヘンリーの呪術師としての実力については、何か反応があると思われたが、返事では特に触れられていなかった。両親は、呪術師の家系を維持することも気に掛けてはいたが、本当は娘のしあわせを何よりも望んでいたのだ。それに気づいたサーリャは、恥ずかしくなった。

そういえば、前回の手紙ではヘンリーの良いところについて、全く触れていなかった。ヘンリーと共に過ごした一日を振り返りつつ、サーリャはペンを取った。

<了>

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