その日もヘンリーは深い傷を負って、ふらふらと前線に向かおうとしているところを、それに気づいたルフレの指示で不本意にも引き返すことになった。
退いたヘンリーにすぐさまマリアベルが駆け寄り、杖をかざす。目を背けたくなるような酷い怪我が、なめらかな皮膚へと治療されていく。
「どうしてあんな怪我をしたのに、前に出ようとするんですの! すぐに逃げてくださいまし!」
怒り心頭のマリアベルを前にしても、ヘンリーはその笑顔を崩さない。
「だって、もっと戦いたかったんだもん。でもマリアベルが回復してくれたから、これでもっともっと戦えるね〜。ありがと〜」
ヘンリーはいつもこんな調子で、一人も死なせたくない軍師ルフレと、回復役のリズやマリアベル、リベラ達は、彼が出撃するときは気が抜けなかった。
ヘンリーを心配する仲間は他にもいた。
例えば、ソール。
「今日も君、危なかったね……無茶をしちゃダメだよ。これ、病気や怪我の後の体力回復にいい薬なんだ。君にあげるよ」
「そんな貴重な薬、僕なんかに使っちゃダメだよ〜。もっと、いざというときに使わなきゃ〜」
「ううん、今だっていざというときだよ……ってちょっとヘンリー、待って!」
「あはは、それは受け取れないよ〜。またね〜」
実家の薬をあげようとしたソールは、ヘンリーに逃げられてしまった。
例えば、リヒト。
「ヘンリーさん、何やってるの! あれじゃいつ死んでもおかしくなかったよ!」
「あはは、リヒト、何怒ってるの〜? そんなことで怒ったって、リヒトの元気が無駄になるだけだよ〜?」
「だって……前にヘンリーさん、僕が死んだら悲しいって言ってくれたけど、僕だってヘンリーさんが死んだら悲しいよ。だから、もうあんな風に戦ってほしくないんだ……」
「ありがと〜。でも僕が死んでも悲しむことはないよ〜。それに今まで大丈夫だったんだから、これからも何とかなるんじゃないかな〜?」
リヒトの真剣な顔もどこ吹く風だ。
例えば、オリヴィエ。
「ヘンリーさん、怪我したそうですね……! 杖と薬を持ってきました……!」
「あはは、オリヴィエ、治療はもう終わってるよ〜?」
「そうなんですね、良かったです……。でもこの薬、持っていてください。次に怪我したときに、役立つでしょうから……」
「ダメだよ〜、物資の管理はルフレがやってるんだから。オリヴィエが勝手に薬をあげちゃいけないんだよ〜」
ヘンリーは今度も逃げようとしたが、オリヴィエはルフレを呼んできて、ルフレも薬を持たせることに同意したので、受け取ることになってしまった。
ヘンリーには、ここまで皆が構ってくる理由がよく分からなかった。なにせ子ども時代は両親に放置され、施設では手酷く扱われ、彼が怪我をしても気にとめる者もなく……。ペレジア軍に入ってからも、彼は「実力のある闇魔導師」以上の扱いを受けることはほとんどなかった。
例外はあった。ペレジアの将軍ムスタファーだ。息子がヘンリーに似ているという彼は、いつもヘンリーを気にかけて、砂糖菓子を用意してくれた。
しかしイーリス軍には、ヘンリーを気にかける者が多すぎるのだ。それも、理由らしい理由がない。ヘンリーは彼らへの対応に困っていた。
そしてここにも、彼に構う人間がいた。
「ヘンリー……貴方の髪の毛を頂戴。今度こそ、確実に呪いを成功させてみせるわ……」
「あはは、サーリャ、また僕を呪うつもりなの〜?」
「ええ……今日のまじないは大失敗よ。このままでは絶対に終わらせないわ。おとなしく、私に実験されなさい……」
呪術師サーリャだ。彼女はその言葉こそ恐ろしく、気遣いなど感じられないため、ヘンリーも最初は彼女に心配されているとは思っていなかった。
実際に呪いの実験台にすることだってあるのだが、彼女が今日彼にかけたのは、「怪我が軽傷で済むおまじない」だった。ヘンリーはそのおまじないの呪詛返しに成功し、おまじないの効果はサーリャに現れた。
「ふふっ、呪詛返しされないように工夫してたみたいだけど、あれじゃ僕には通用しないよ〜。僕で実験したいなら、もっと複雑なおまじないにしないとね〜」
「……! 貴方って、本当に嫌な男……。いいわ、望むところよ。今度こそ、貴方に返せない呪いをかけるわ……」
サーリャがヘンリーに向けているのは、単なる心配だけではなかった。サーリャは同じ呪術師として、ヘンリーを好敵手として捉え、張り合ってくるのである。その様子が面白くなってきたヘンリーは快く髪の毛をあげていたのだが、その余裕も彼女の気に障るようだった。
「はい、髪の毛。今度の呪いも楽しみだな〜」
「ふん……笑っていられるのも、今のうちよ……」
サーリャはヘンリーに一筋、鋭い眼光を飛ばして去っていく。ヘンリーはお面のような笑顔でそれを見送り、次に彼女がどんな呪いを使ってくるか想像して楽しんだ。
次の戦いのとき、サーリャはヘンリーの髪の毛を使い、「怪我が軽傷で済むおまじない」に再挑戦した。先日の失敗がよほど悔しかったのか、彼女はおまじないに改良に次ぐ改良を重ねていた。そしてとうとう、ヘンリーは呪詛返しに失敗したのだ。
共に出撃することになったヘンリーとサーリャは、戦いが始まる前、言葉を交わす。
「サーリャ。君、やったね〜?」
「うふふふ……少しは私のこと、怖いと思ったかしら……」
「う〜ん、怖くはないけど〜。でもこの間からそんなに経ってないのに、ここまで変わると思ってなかったよ〜」
「そう……まあいいわ。これからじっくりと、私の恐ろしさを教えてあげる……」
「あはは、怪我が軽くなるおまじないなんて使ってて、よく言うよ〜」
「ふん、今回はたまたまよ。ルフレに使う前に、貴方で試しただけ……。次からは、身の毛もよだつ思いをさせてあげるから、覚悟しておくことね……」
「は〜い。あ、そろそろ始まるみたいだよ。サーリャのおまじないの効果、しっかり確かめないとね〜」
「そうね……」
話を切り上げて、二人は戦闘準備する。
そうして戦いの火蓋が切って落とされた。二人はその日組んで戦うよう、ルフレに指示されていた。サーリャがヘンリーを補助する形だ。
ヘンリーは開始地点を矢のように飛び出す。その日のヘンリーは……いつにも増して無謀だった。サーリャのおまじないの効果を確認するため、いつもより無茶な戦い方をしようと、彼は考えたのだ。
高笑いしながら次々と敵に詰め寄り、魔法を放つ。敵が群れていようが退かずに突っ込む。急所を貪欲に狙っていくが、その分自らの守りも薄くなっていて、攻撃をじわじわと喰らい続ける。彼の体のあちこちに、生傷ができていった。
「ヘンリー、無茶はやめなさい……!」
ヘンリーに振り下ろされた斧を、サーリャが魔道書で凌いだ。その隙にヘンリーが、魔法で斧の主を沈める。
「え〜、どうしてかばうの〜? おまじないの効果が分かんなくなるじゃない〜」
「いくらまじないがあっても、見てられないわ……もし効果がなかったら、どうするの……」
「そのときはそのときだよ〜。僕が死んじゃうかもしれないってだけの話でしょ?」
「……とにかく、その薬を飲みなさい。早く!」
サーリャはヘンリーを守りつつ、オリヴィエとルフレから持たされた薬を飲むよう促した。ヘンリーが渋々飲むと、生傷がすっかり癒える。
「これじゃ、まじないの実験の意味がないと思うんだけど〜」
不平を言っていると、刹那、彼の顔をショートスピアが掠め、一筋の血が頰を伝った。
「ヘンリー!油断しないで……!」
「は〜い。じゃあ、まだまだ頑張るよ〜!」
ヘンリーはまた魔道書を掲げ、けたけたと笑いながら死の舞踏に興じた。サーリャはおまじないが効いていることを祈りながら、全力で追いかける。暴走の尻拭いに必死になっているうちに、敵は全員倒れ、気づけば戦いは終わっていた。それが分かると、サーリャはその場にへたり込んだ。
「ふふっ、サーリャのおまじない、よく効いてたんじゃないかな〜。サーリャがかばったりしなければ、もっと良く分かったのにね〜」
身体中の生傷から血を滲ませたヘンリーは、満面の笑みだ。痛ましい姿だが、確かに大きな怪我はしていなかった。
「……貴方にまじないをかけたのは、失敗だったわ。まさかあんなに向こう見ずになるなんて……」
まだ立ち上がれないサーリャが、震える声で言った。
「なんで〜? ちゃんと結果も分かったし、いいじゃない」
「だめよ……あれでは貴方、本当に死んでしまうわ……」
「それのどこがいけないの〜? 人間、誰だって死ぬんだよ。それが遅いか早いかだけの話じゃない」
ヘンリーは分からなかった。イーリス軍の皆は、一様に「死んではいけない」と言うが、どうせ皆いつかは死ぬのだ。それも戦争ともなると、兵士はいつ死んでもおかしくない駒なのだ。それが死ぬことのどこが悪いのか、理解できなかった。
「僕はただ、楽しく戦ってるだけだよ。死ぬのも怖くないしね〜。僕はいつ死んだって構わないし、僕が死のうが誰も困らないよ」
「……私は、困るわ……」
サーリャが口を挟む。
「なんで〜? 仲間だから〜?」
「……そうね……貴方は、私の実験台として優秀よ……呪いにかかりやすい上に、解呪と呪詛返しができる。貴方の呪詛返しの実力は、誰にも真似できないほどだから……呪詛返し対策の参考になるわ。今回だって、まじないの研究に随分役立ったもの……」
ヘンリーはこれまでも、「君が死んだら困る」と言われてきた。しかしその理由は大抵、「仲間だから」などといった掴みどころのないもので、ヘンリーにはいまいちピンときていなかった。「君が死ぬと悲しいから」という理由もよく聞いたが、人が死ぬならともかく、自分なんかが死んで悲しむ人がいるとは、到底思えなかったのだ。
それがサーリャは、具体的かつヘンリー以外では替えのきかない理由を提示してきた。今のヘンリーにとっては、「仲間だから」などと言われるよりは、ずっとすんなりと心になじむ理由だった。
「そっか、なるほど〜。じゃあ僕、なるべく死なないようにして、サーリャに協力するね〜」
「そう……それでいいの。妙なことは考えず、私に実験されていなさい……」
少しほっとした様子のサーリャは、ようやくよろよろと立ち上がった。
「うん。じゃあまた、髪の毛をあげる。今度はどんな呪いかな〜」
「いえ……今回はいいわ。今度は、髪の毛なしで呪いを成功させてみせる……」
「へ〜、ほんと〜? 楽しみだな〜」
「まあ、その話は後にするわ……まずは貴方の傷を治すわよ。リズのところに行きましょう……」
「分かった〜。じゃあ一緒に行こうか〜」
ヘンリーは自分が必要とされてつい嬉しくなり、足取りも軽くリズのもとへ向かった。
ヘンリーとサーリャの呪術比べは続いた。サーリャの呪いは効果も術式も種類豊富で、呪術師としては興味深いものだった。
呪詛返しが成功した日には、サーリャは鬼のごとくヘンリーを睨みつけた。失敗して呪いにかかった日には、様子を見に来た彼女が愉悦の笑みを浮かべ、鼻高々に勝利宣言してきた。その様子が面白くて、ヘンリーは呪詛返しが成功しても失敗しても、サーリャの顔を見るのが楽しみだった。
顔を合わせるうちに、呪術以外の話もするようになって、それもそれで面白かった。サーリャがルフレを夢中で追いかけているときは、自分に構ってもらえないのが心に引っかかった。
要するにヘンリーは、サーリャと一緒にいると楽しかったのだ。ーーいつしか彼は、彼女を好きになっていた。
ヘンリーはサーリャに求婚した。成り行きと言えなくもなかったが、彼女は彼を受け入れ、揃いの指輪を作った。ルフレもそれを見て、守るべきものができた彼は、もう自分を危険に晒すことはないだろうと安堵した。
しかし、それでもヘンリーは、自分の命の重みをまだ分かっていなかったのだ。
その日も屍兵との戦闘があったが、ヘンリーは野営地でため息をついていた。ここのところ、ずっと出撃の機会がない。戦略上の都合によるものだが、ヘンリーは自らの存在理由と生きがいを失っていた。楽しく戦って、軍に必要とされることこそが自らの価値だと考えていたが、それができない毎日に、居心地の悪さを感じていた。
「はあ。なんでルフレ、僕を使ってくれないのかな〜。こんなに戦いたいのに〜」
「仕方ないでしょ……ルフレにも色々と考えがあるのよ……」
その日は同じく出撃のなかったサーリャが、彼を慰める。
「でも、サーリャは時々出撃するじゃない。僕だって闇魔法使えるのに……。どうして僕じゃダメなのかな〜」
「さあ、私には戦略のことは良く分からないけど……だけど、ルフレは貴方のことを忘れた訳ではないわ。きっとまた出撃の機会が来るわよ……」
「でもあんまりだよ。だって戦えなくなってから、もうすぐ一月も経つんだよ? 僕の分の兵糧が無駄じゃない」
彼の憂いはもう一つあった。
「それにサーリャだって、最近僕を全然呪わないじゃない。どうして〜?」
「今研究している呪いは、貴方より他の人を実験台にした方が都合がいいの。それだけよ……」
「ふ〜ん。じゃあ僕、もう要らないね〜」
サーリャはどきりとした。夫は、あのおまじないにかかった日から全く変わっていなかったのだ。
「私は、貴方がいなくなったら困るわ……」
「それは、僕が実験台だからでしょ〜? 実験台になれないなら、僕はもういなくなっても平気だよね〜?」
「ヘンリー……確かに私は以前、貴方が実験台として必要だと言ったことはあるわ。でも、今はそれだけじゃない。だって、私は貴方の妻だもの……」
「そっか〜。じゃあもし僕とサーリャがお別れしたら、やっぱり僕は要らなくなるのかな〜」
どうしてそんなにあっさりと、離婚について言及できるのか。夫婦というものを何だと思っているのか……サーリャは悲しくなる。
「何を言い出すの……私、貴方と別れたりなんかしないわよ……」
「うん、僕も別れたくないよ。サーリャのこと好きだし。でもサーリャは、実験台になれない僕なんて嫌でしょ?」
「嫌じゃないわ……私が今、貴方を必要としているのは……貴方が、貴方だからよ……」
ヘンリーには理解できなかった。あの日とは違って、サーリャの言うことはひどく抽象的だ。
「僕が僕だから、か〜。よく分かんないな〜。ま、いっか。サーリャが必要だっていうなら、僕は君の側にいるね〜」
サーリャは嫌な予感がした。次の出撃で彼がどんな戦い方をするか、知れなかった。
その機会はすぐにやって来た。
久々に出撃命令が出た彼はこれ以上ないくらい上機嫌で、出撃前から笑いが止まらなかった。ルフレから、ヘンリーが無茶をしないよう側で戦えと指示されたサーリャは、彼に近づいて話しかける。
「ヘンリー。気をつけて頂戴……貴方が死ぬなんて、私は嫌よ……」
「そうなの〜? 僕なんてどうなってもいいと思うけどな〜。サーリャこそ、死なないでね〜」
やはり彼は何をするか分からない。気を引き締めて出撃のときを待った。
戦いが始まった。ヘンリーの快進撃は目を見張るほどで、サーリャも周りの敵を退けながら、なんとか彼についていった。一歩先をヘンリーが行き、サーリャが追いかける。二人が敵を蹴散らしながら前進しているときだった。
前方でヘンリーが戦っているところに追いつこうと駆けていると、急にばたばたと足音が聞こえた。その音に気付いたときには、敵の集団が周囲の階段から姿を現していた。増援だ。ヘンリーの少し後ろを走っていたサーリャは、既にいた敵も加わり、ちょうど囲まれる形になった。
彼らが一斉に攻撃してきたら、まずかった。既に傷を負っている。リザイアの魔道書は持っていたが、素早い敵には避けられる可能性もあり、確実に耐え切れるとは言えなかった。
案の定、彼らは一目散にサーリャに飛びかかってきた。サーリャはリザイアを開き、間合いを詰められないうちに、まず一人を仕留める。その瞬間、別の方角からトマホークが飛んできた。ぎりぎりで避けると、もう一回、そちらに向かってリザイアを唱える。
ヘンリーも後方の異変に気付き、目の前の敵を跡形もなく吹き飛ばすと、踵を返して階段から出てくる敵を目指した。
「サーリャ!」
必死で応戦する妻を目視すると、彼女に駆け寄る敵にエルファイアーを放ち、黒焦げにした。
「あははっ! 僕もいるよ〜!」
そこからは混戦だった。敵はこちらより多くて手数で押された。ようやく切り抜けられるかと思ったのも束の間、他の敵がこちらに向かって来る。敵の波状攻撃が続く中、二人はだんだんと消耗していった。
依然として敵に囲まれている中、サーリャは叫んだ。
「ヘンリー、逃げましょう……!」
彼女のリザイアは壊れ、薬も全て飲んでしまっていた。エルサンダーの魔道書はあるので戦うことはできるが、もはや回復の術はない。一方のヘンリーは、リザイアとエルファイアーは持っていたが、薬はもうない。リザイアも傷んでいて、もし壊れてしまったら、ヘンリーも危なかった。
「え〜、やだ〜。僕もっと戦いたいよ〜」
「何を言ってるの……このままじゃ危ないわ……!」
「じゃあ、場所を変えようか〜」
そう言葉を交わすと、ヘンリーはサーリャの手を引いて、敵の密度の低いところを突破し、細い通路に入る。ヘンリーが退却に応じてくれた……と思ったサーリャだったが、ヘンリーは急にサーリャの手を離し、サーリャの後ろに回って立ち位置を入れ替えた。ヘンリーはサーリャを細い通路に連れ込んで、その入り口を自らの身体で塞いだのだ。ヘンリーはそこで仁王立ちして、敵を待ち構えた。
「さあさあ、どこからでもかかって来てよ〜!」
挑発するヘンリーを敵が囲んで、攻撃が集中する。ヘンリーは傷を負い、リザイアで癒し、また傷を負い……彼の身体は繰り返す破壊と再生でぼろぼろだった。
「ヘンリー、何やってるの……逃げるわよ……!」
「嫌だよ〜、僕は戦うよ。サーリャは逃げてもいいからね〜」
「なら、そこをどきなさい…… 私も戦うわ……!」
「だめだよ〜、獲物は横取りさせないからね〜」
頑として動かないヘンリーを、サーリャも後ろから援護したが、敵は次から次へと迫ってくる。どちらが先に倒れるかの勝負だった。
それでも敵は減ってきて、ついに最後の一人になった。相手の武器はトロンだ。ヘンリーは魔法を受けるのがそこまで得意ではなかったし、手持ちのリザイアはもうすぐだめになりそうだったので、気は抜けなかった。
先手を取ったのはヘンリー。サーリャも追撃に成功し、あと一回当たれば、敵は倒れてくれそうだった。
今度は敵のトロンがヘンリーに向かう。それをまともに食らってしまい、深く傷を負った。だが次のリザイアで敵は倒れ、ヘンリーも回復できるはずだ。彼はリザイアの魔道書を開いた。
ーー放ったリザイアは、かわされた。
次の瞬間、また敵のトロンが飛んできて、サーリャはとっさにヘンリーのマントを思いっきり引いた。のけぞって倒れる彼の上をトロンが通過し、サーリャに直撃する。
「うっ……!」
サーリャはうめきながらエルサンダーを撃とうとしたが、先にヘンリーが反応して、今度こそリザイアで敵を沈めた。
「サーリャ、大丈夫?」
「ええ、何とか……」
サーリャは少し青くなっていた。ヘンリーも回復はしたが充分ではなく、リザイアの魔道書もちぎれてしまい、もはや用をなさない。二人は肩を支え合って歩き出す。これ以上敵が来れば命はなかった。
幸い、次に彼らの前に現れたのは仲間達だった。敵将を討ち、隊を投降させたのだ。安堵の息を吐く二人を、リベラの杖が癒した。
傷の治療を終えて野営地に帰り、サーリャが自分の天幕で座って休んでいると、隣で同じく休んでいたヘンリーが、彼女に突拍子も無い質問をした。
「サーリャ。僕って、サーリャの家族の誰かに似てるの?」
サーリャにそのような心当たりはない。
「特にそういうことはないわ。それがどうかしたの……?」
「そうなんだ〜。よく分かんないな〜」
「何が分からないのよ……」
「どうしてサーリャが僕をかばってくれたのか、だよ〜。自分が痛い思いをしてまで、なんでああしたのかな〜って」
「それが、家族と何か関係があるの……?」
「サーリャは、ムスタファーさんって知ってるよね」
勿論知っていた。ペレジア軍時代には将軍としての彼を知っていたし、ペレジアを裏切った直後、彼の隊に退路を妨害され、彼を討ったからだ。
「ムスタファーさんはね、いつも僕に砂糖菓子をくれて、優しくしてくれたんだよ〜。僕が息子に似てるって言って。だから、サーリャも僕が家族に似てるから、そこまでしてくれたのかなって思ったんだ〜」
ヘンリーは、サーリャが彼に優しくしてくれる理由を探していた。
サーリャは彼に、その答えを与えようとして尋問を始めた。
「違うわ……。なら私も聞くけど、貴方はどうして、私の盾になったの……?」
「あはは、盾だなんて、たいそうな言い方だな〜。僕はいっぱい戦いたかっただけだよ〜。それに、サーリャもリザイアとか薬とか、なかったみたいだしね〜」
「それ……。要するに、回復できない私をかばったってことよね。それはなぜかしら……」
「う〜ん、そういうことなのかな? あのときはそこまで考えてなかったけど……でも、サーリャが僕より先に死ぬなんて嫌だし、だからそうしたのかな〜」
「そう、それよ。私も同じ気持ちよ……。私、貴方が死ぬのが嫌だって、戦う前に言ったでしょう……。私も貴方と同じだから、貴方をかばったの」
上手く説明できたか、と思ったが、ヘンリーはまだ納得していなかった。
「僕とサーリャは同じじゃないよ。サーリャは家で、修業は厳しかったらしいけど、大事に育ててもらえて、今でも手紙を書いてるじゃない」
へらへらと笑いながら言葉を継ぐ。
「僕は両親にほったらかしにされたし、育ててくれた狼もいたけど死んじゃって、施設でもお仕置きされてばっかりで。僕にはサーリャみたいに、大事にされるような値打ちなんてないんだよ。だって、僕って家族にも大事にされないくらいだしね〜」
決定的な一言が出た。サーリャの疑念が確信に変わった。彼があっさり離婚について話した理由も、今なら分かる。
「私は、貴方の家族じゃないの……?」
サーリャはずっと寂しかった。ヘンリーに、家族と認めてもらえないのが。彼はサーリャを好きだとは言うが、過去の家族との出来事に囚われ、そこから抜け出せていなかったのだ。
「私、これでも貴方のことを家族だと思っているし、実験に使ってはいるけど、大事にしているつもりよ……。だから今日だって、かばったの……」
サーリャの瞳は、潤んでいる。
「貴方は、貴方が私の家族に似ているからかばったって思ったみたいだけど、的外れよ。だって貴方は、もう私の家族なんだもの」
サーリャは少し腰を浮かすと、ヘンリーとの距離を詰めて、そっと寄り添う。ヘンリーは少しの間ぽかんとしていたが、すぐにふにゃっと笑った。
「……そっか〜。確かにそうだよね。結婚したってことは、僕は今、サーリャと家族なんだよね。……僕も家族に大事にされるようになったんだね〜」
感慨深げにそう言うと、彼はサーリャの左手を取り、結婚指輪に触れた。
「サーリャ。僕と家族になってくれて、ありがと〜」
そのまま左手を包んで、いつまでも撫でながら、ヘンリーはサーリャと夫婦として語らい始めた。
「それにしても家族って不思議だね〜。お互い好きになったら結婚して、ずっと一緒にいられるようになって。それに、僕とサーリャも、いつかはお父さんとお母さんになるんだね〜」
「そうね……そんな日も来るのよね……」
ふいに、彼と一緒に赤ん坊を抱くイメージが湧き上がって、サーリャの胸はきゅっと締め付けられた。
「ねえサーリャ、僕、君が好きだよ。これからもずっと、呪いの実験台になって、君のお願いを聞いていたら、サーリャも僕のことずっと好きでいてくれる?」
「……そうね。でも貴方が実験台をやめたり、私のお願いを全部は聞かなくなったりしても……きっと、私は貴方のこと……。……好き、よ……」
最後の方はなんとも言いにくそうだったサーリャだが、そんな彼女にヘンリーは追い打ちをかける。
「ってことは、それ以外にも、好きなところがあるってこと〜? ねえねえ、サーリャは僕のどういうところが好きなの〜?」
サーリャはもごもごと口ごもったが、ヘンリーは決して許してはくれず、彼女がぽつりぽつりと白状しだすのを笑顔で待った。
ヘンリーは相変わらず戦争大好きで、戦いに夢中になりすぎて無謀になる癖は直っていないが、以前と比べると破滅的な振る舞いは随分少なくなった。
「ヘンリーさん。最近の戦闘では、よく戦ってくれてありがとうございます」
たまたま通りかかったヘンリーに、ルフレが声をかけた。
「いえいえ〜。これからもどんどん、僕を出撃させてね〜」
いかにもヘンリーらしい返答で、ルフレは困ったような笑みを浮かべる。
「そうですね、戦況にもよりますが検討します。最近のヘンリーさんは、以前よりは自分の身を守りながら戦っているので、助かりますし」
「え〜、それのどこが助かるの〜? ちょっとくらい危険でも、敵をどんどん倒す方が助かるんじゃないの〜?」
「いえ。私はあなたを含め、誰も犠牲にしたくありませんから」
「それって、僕が仲間だから〜?」
「はい。私だけじゃありません、他の人達も、仲間としてヘンリーさんを心配していますよ」
「ふ〜ん。仲間って、よく分かんないけど、そういうものなんだね。僕でも、みんなに心配されたりするものなんだ〜」
ヘンリーは以前よりも、「仲間」という概念を受け入れていた。自分が家族に大切にされている今、その家族の他にも自分に気を配る者がいるということを、少しずつ受け入れはじめていたのだ。
「もちろんです。だから、これからも戦闘のときには気をつけてくださいね」
「うん、ルフレがそう言うなら、そうするね〜」
素直に言って、ヘンリーは次の戦闘に思いを馳せる。
ヘンリーはサーリャのもとに向かった。先程サーリャの呪いが飛んできたが、呪詛返しに成功したので、彼女の様子を見に行ったのだ。
「ヘンリー……貴方……」
いつものごとく、恨みのこもった目つきだ。今日の呪いは「活力が湧いてくるおまじない」であった。
「あんなに簡単に返すなんて、許せないわ……次は絶対に成功させてみせる……」
サーリャは早速おまじないの改良に取り掛かっていた。あれこれと道具を取り出し、呪術書を読み漁る姿は、なるほど活力に溢れている。
「あはは、残念だったね〜。でも、サーリャが元気になってよかったじゃない」
「良くないわ……あれだけ手をかけたまじないを返されるなんて、屈辱よ……」
「ねえサーリャ。あんなおまじないを僕にかけたのは、僕が最近疲れてたからだよね〜?」
連日の出撃で、少しではあるが疲労がたまっていたヘンリーが、サーリャに問う。
「これは、ルフレにかけるために研究していたまじないよ……。貴方は、その実験台に使われただけ……」
「だって、ルフレは呪詛返しできないんだから、呪詛返し対策は必要ないじゃない。だったらもっと単純な構造のおまじないにして、僕じゃない別の人を実験台にする方が早いんじゃないの〜?」
サーリャは何かと素直ではない。彼女は確かにヘンリーを心配しているが、言動からはそれを掴みにくい。しかしヘンリーは、結婚生活を送るうちに、だんだんと彼女の気持ちを読み取る術に長けてきていた。
「う、うるさいわね……どうせだから、呪詛返しの研究もついでにしたかったのよ……」
目を伏せて、速く小さく呟くサーリャに、ヘンリーは突然抱きついた。
「ふふっ、サーリャって可愛いな〜。大好きだよ〜」
「何よ急に……研究の邪魔だから、離れなさい……」
「え〜、もうちょっとこのままでいさせてよ〜。僕達家族なんだから、時々は研究を休んで、一緒にいてほしいな〜」
「……そう……仕方ないわね。少しくらいなら、いいわよ……」
彼が家族のぬくもりを求めているのを知ったサーリャは、こうした申し出にすっかり弱くなっていた。その背中に腕を回してこわごわと抱くと、彼の抱きしめる腕の力がさらに強くなり、サーリャは少し苦しみながらも、ただそれを受け入れる。鼓動が触れ合うのを感じながら、二人は夫婦として共にあるしあわせを噛みしめていた。
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